103系の思い出

鉄道

103系引退だそうで。

記憶での103系は、小学生のころ、黄色い総武線とオレンジ色の中央線で、101系と一緒に走っていた。
103系は、わりとクーラーがついていたので、夏に103系がやってくると、嬉しかった。
中央線特別快速に乗り鉄しに行ったときに、103系の高運転台先頭車で、全車両クーラー付きがやってきたときは、ガッツポーズをしたものだ。
特別快速は、特別なんだなと、思った。
普通の快速は、特別じゃない場合が多かった。
先頭車だけや、先頭クハとそのつぎのユニットMMだけクーラーがついていて、つぎのサハ・モハモハ・サハが、クーラー無しの場合があった。
もっとひどいと、先頭のクハだけクーラーがついていて、とちゅうの8両は、クーラー無しっていうのもあった。
先頭だけクーラーっていうパターンは、あんまり中央線・総武線ではなかったけれど、山手線には、わりとあった。
ATC準備で先頭車両だけ入れ替えていたので、そのせいだ。
101系は、窓が全開に明くのだけれど、103系は、全開にできなかった。確か。

どうして、乗り心地が悪いのに、あんなにたくさん作った?

比べちゃイケナイのだろうけれど、国鉄の普通電車は、乗り心地がよろしくない。
大手私鉄の電車は、早い段階からエアサスで、乗り心地がいいのがふつうだった。(例外もあったけが)
そして、武蔵野線の地下区間での爆音は、ドン引きだった。

201系・205系が増えていくにつれて、埼京線や京葉線に移籍していった。

埼京線や京葉線が、旧来路線のバイパス的に作られていったが、まだ、国鉄発想なので、始めから新型車両は導入されることはなかった。
線形が高速走行に向いているようにつくってあるのに、103系が爆音を轟かせて、疾走してた。
「俺、そんなに早く走るの、向いてないんだけど」…と、感情があったら、ぼやいていただろうに。

101系は「西カノ」103系は「千ツヌ」

鉄ちゃん道に邁進していた小学生の自分。
鉄道管理局区分や電車区、編成や電源方式、列車番号や方向幕と対で先頭車両に表記される運用記号などに、興味津々。
総武線にはあまりなかった、103系のクモハが組成されている編成があった。中間に連結されているので、通り抜けが出来ない。
一般的には、中間に先頭車が組まれるときは、クハ…クモハや、クハ…クハになるのが当然なのだけれど、一時期、
クハ(だったか、クモハだったか記憶が曖昧)の運転台側の次に繋がれていたのが、モハ(だったか、サハだったか記憶が曖昧)で、連結幌がついた状態で組成されていた。
当然通り抜けできないので、絶対通り抜けできないように注意書きや処置がされていた。
それだけ、車両に融通が利かないほど、余裕がなかったのだろう。国鉄末期というものは。

パワフル編成と呼んでいた

総武線に、南武線から編入してきたことがあり、まだ、「西ナハ」表記のまま使ってて、いいもの見たと嬉しく思ったものだ。
そして、それ以上にビックリしたのは、両先頭のクハ以外が、すべてモハで編成されていたことだ。
クハ・モハモハ…モハモハ…モハモハ…モハモハ…クハ だった。
初めて見かけたときは、錦糸町駅の快速ホームで、千葉方面行きの各駅停車だったから、眺めただけだったけれど、
別の機会で、ちょうど、その編成にのることができた。
やはり、加速もよく、トップスピードになるまでの時間が短かったような気がした。
普通は6M4Tで運用するのに、MMユニットが多いので、当然「パワフル」なのだ。
もっと昔は、101系で10両すべてモハとクモハで組成することをしようとしたことがあったが、電力が追いつかないのでやめた…という記述をみたことがあるが、それに勝るとも劣らない性能だったのでは無いだろうかと想像。

かぶりつきをさせてえもらえない、山手線と京浜東北線のATC装置増備車

総武線や中央線は、運転席後ろの遮蔽幕を開けてあれば、かぶりつきがたのしめたのだけれど、山手線・京浜東北線の先頭車両クハは、かぶりつきをさせてもらえることがほとんどなかった。
左から2/3は、ATC装置のスペースにとられ、右がわにのみ、扉とセットのガラス窓があるだけだった。
1つしか窓が無いのにもかかわらず、昔は、昼間でも車閉幕を下げているのがほぼほぼ普通だった。
いまでこそ、車閉幕は上げて、乗務員の姿を見える化させるのが当然の時代だけれど、昔は、何をやってるかわからないのがあたりまえで、魅せる筋合いでは無かったのだろう。
かぶりつき大好きな自分にとっては、いい時代になった。

省エネってなんですか?

親しんでいた103系が元気だったころは、そう長くは続かなかった。201系の登場だ。
サイリスタチョッパって、言葉は覚えたけれど、それが何なのか確かめるほど、大人じゃ無かったので、もうすこし早く生まれていたら、そのあたりを探求することもしたのかもしれない。
203系は、千代田線直通用常磐線各駅停車として作られ、205系は、山手線・少数の京浜東北線・埼京線と関西の一部用に作られた。(それ以外の少数派は省略)
新しいのが出る度に、国鉄型といっても、進化していた。
それなのに、21世紀の平成の時代、それも、平成20年代後半まで、103系が走り続けていくとは、だれも想像付かなかっただろう。
ステンレス車両は、最近は、海外に輸出するという、エコシステムが確立したので、もっと前の世代の103系は、輸出してまでの対象にならなかったのだろう。
そのせいで、いつまでも延命措置をしぃしぃ、使われていたのだろう。
戸袋窓がない103系なんて、認めたくなかったゾ(^_^;)
省エネという言葉が生まれたころより、もっと、エコな時代なのに、それでも生き延びた103系には、省エネという言葉を超越した、存在価値があったのかもしれない。

大量生産の昭和を鉄道界での代表する存在が103系だった。
多品種少量生産の現代では、もう、こういう存在は出てくるはずはない。
汎用性という目標をもっていたのだろうけれど、使っていくウチにミスマッチもでてきた。

大阪環状線という路線で最後まで使われていたというのは、まさに大阪環状線が適材適所だったからに違いない。もちろん、JR西という物持ちのよい会社だったことも、条件のひとつだ。

日本の鉄道史に燦然と輝く1車種であったことは、紛れもない事実だろう。
さらば!鉄道界のキングオブ「ベタ」…103系

あれ~。
奈良線では、まだ走ってるってよ(笑)



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